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やる気のない子、自信のない子の指導にあたる際、
わたしはこう考え指導を行いました。

講師NO.5A46112 大塚 真紀子

昨年学研の家庭教師のミーティング会に出席した時、講師の一人が「教えている子供が、やる気がなくて困っているんですよ」というのを聞いた。私より5つ下の女性だったような気がしたが、いろいろやってみるんですが、あまり効果があがらないと少しイライラした様子だった。 私には、彼女の腹だたしげな口調が自分のふがいなさによるものなのか、子供へのあきらめによるものなのかは分からなかったが、とても残念に感じたことを記憶している。

「子供にやる気がない」という言葉は私の二年間という短い教員生活でも、耳にたこができるぐらい聞いてきた言葉だった。そしてその言葉を吐いてしまった先生から、こぼれ落ちた子供を何人も見てきた。 やる気がない・・・という言葉はどんな意味なんだろうか。私自身の捉え方では消極的にやる気がおこらない、だらけている、といった感じに受取っている。だから、一般的にやる気がないと言われる子供たちは扱いにくいと思われがちである。しかし、こう考えてみてはどうだろうか。やる気を見せない子供たちにとって、勉強は積極的にやりたくないのである。口では「やらなくちゃいけないと思ってる」というのは、人からいつも言われているからであったり、道徳観念から仕方なく言っているのであり、心の中ではイヤダ、イヤダと叫んでいるのではなかろうか。

勉強を好きな子なんてめったにいないから、先生に対してやる気のなさを見せてしまう子の方が特別視されやすいが、私はどういった場合においても、自分の意志を表現できる力をもった子供の方が指導しやすいと思っている。

例えば、私が受け持っているN君の場合、人から見ればかなりやる気のない少年だと、とらえられがちであろう。学研の家庭教師に入会したのは中3の夏、成績オール1、しかも本人に高校進学の意志があまりなく、かといって就職を真剣に考えている様子でもなかった。父親のドイツ赴任に伴って小学校高学年の2年間をあちらで過ごしている。それが、国語などの遅れの原因かなと思いもしたが、よく聞いてみると日本語学校で学習し、友達はすべて日本人、ドイツ語は一言もしゃべれないということだった。それに中1の始めより日本に帰ってきているから、英語などは他の生徒と同じスタートなのに、A~Zまでまともに書けないという有様だった。

私がN君に初めて会った時、(よくここまで徹底して悪い成績がとれるとは、度胸があるな、でも毎日の学校生活が辛 かったのではないだろうか)という思いがした。私はN君に尋ねた。

「何の教科が好き?」「全部嫌いだけど、数学は少しわかる。社会と英語は特に嫌い」

母親の話では、中2の時の担任とうまくいかず(登校拒否になるのではないだろうかと心配したぐらいだったそうだが)その先生の受け持ちが社会だったらしい。英語は父親が堪能らしく、その反動からということだった。私はその「少しは分かる」という数学から指導することにした。

指導を始めてから本人がいう「少しはわかる」という意味が私には理解できない程、数学に対するN君の知識・学力は低かった。小3~小4で確立される分数の概念さえ身に着いていなかったし、時折掛け算の九九でさえ間違った。私は困ってしまった。本人が本気で「少しはわかる」と思っているのだったら、あまりにも考えが甘すぎる。妙な自信をもって彼に対して、小学校の問題から始めるなんて、果たしてすんなり受け入れてくれるだろうか。

その時、あることを思い出した。私が小学校の教師をしていた時のことだ。廊下に貼る絵を、学級から何点かださなくてはいけなかった。生徒に立候補を募ったが、一人も書きたいと希望する子がいなかった。しかし、その日の放課後Mちゃんが「先生が困っているんだったら、私かいてあげてもいいよ」という。私は生意気な言い方が少しカチンときたが、Mちゃんに頼むことにした。後でMちゃんが5年生の時の図工の成績を見ると3だった。(5段階相対評価)

私はそれほど期待もせずに、絵のでき上がりを待った。何日かしてからだったと思うが、Mちゃんの5年生の時の担任の先生と偶然展示する絵の話になった。うちのMちゃんがかくのだと私が言うとその先生は、こんなことを言った。「あの子は5年の図工のとき作品をほとんど出さなかった。何回も注意したんですが、要するにやる気がないんですよ。先生も注意したほうがいいですよ。」

締め切りまでもう何日もない。他の子供に頼む時間はない。私は頭を抱えてしまった。本当に出してくれるのか、不安になったのだ。しかし、私の心配をよそにMちゃんは提出の日をしっかり守って出してくれた。しかも絵のでき栄えは大人顔負けだった。私は純粋に「うわーMちゃん、絵の才能あるんじゃない!画家になれるよ!」と叫んでしまった。

そして5年生の時の評価3はおかしいなと思い、「Mちゃん、何で5年生の時作品出さなかったの?」と聞くと「はじめにね、出せなかったの。私かくの遅いから。それで、先生にもう1日待って欲しいという前に、怒られて嫌になったから。それからは意地でも出さなかった。今回は余裕あると思っていたけど、やっぱり昨日徹夜してかいたんです」と言う。実際Mちゃんの目は真っ赤だった。それから、その子の図工の成績はぐんぐん伸びた。その上、何か自信の持てるものが見つかったからか、他の教科も少しずつ上がり始めた。あんな生意気な言い方したけど、本当は始めからかきたかったんだ。あの子にとって今まで教師は信用できる存在じゃなかったんだ。

私にとってやる気がないと片付けてしまう前に、子供からのサインを見逃してはならないと痛感したでき事だった。

話を元にもどすが、N君の「数学は少しは分かる」といった言葉の中には、数学は少し好きという意味が含まれているのではないだろうかと思った。それから、様子を見ながらではあるが数学を徹底して指導することにした。N君への指導はまず、基礎知識が全く無いため(中1程度の)学校の授業のような説明をその都度しながら問題を解かせた。本人の自信とは裏腹に、初めて聞くことばっかりだったのだろう。おまけに、割り算や分数の(本人にも小学生の問題とわかる程度の)問題までときどき復習させられるのだ。

本人はいたくプライドを傷つけられた思いがしただろう。しょっちゅう鉛筆を投げ出しては踏ん反り返った。私が書くように指示しても、嫌だと言う。ここでカチンときたらお手上げ。怒りをこらえて、優しく何度も同じ指示を出す。1問に30分かかってもいいと言うくらいに粘った。そのうち、N君は怒った顔でノートに書き出す。数学も文字も非常に汚い。わざとあてつけに汚くかいているのが分かる。でも、その時は何も言わない。後で宿題として、書き直しを出すからだ。誰だって、物事を覚える最初はなかなか辛いことが多い。めんどうくさい、飽きたと思う場面に幾度となくぶつかる。そのたびに、やる気を出せというのが無理であって、こういう時は我慢したり粘らせることも大切だと思っている。

ここで、講師が期限を直させる為にこびたり、妥協したり、怒ったり、あきらめたりすると信頼関係は築けないと思っている。褒めたり叱ったりする、いわゆるアメとムチの使い方は生徒の特性にもよるが、N君はやはり集中力に欠けていた。反抗期という年代ということもあろうが、イヤダと言ってテコでも動かないこともしばしばあった。実際、授業の終わりまでふてくされて帰った日もあった。そういう時は、さすがに私も落ち込んだ。

しかし、面白いことに前回起こってメチャクチャに解いた問題のやり直し問題は、丁寧な字でしっかり解いてきているのだ。そんな時は褒める。これでもかっていうぐらい褒めちぎる。N君も甘やかされて育っているものの、この学力では誰にも褒めてもらったことなんてないだろうから。そうやって、毎回格闘している内に、学校のこと、異性のこと、家族のことなど話してくれるようになった。数学の指導も相変わらず、独力で解ける問題は少ないが、自分でドンドン進めていけるようになった。要するに、自立して勉強に取り組める姿勢が身に着いたように思う。

毎回、集中するのは誰だって難しい。そんな時は10分くらい休憩し、今やっていることが何故N君にとって必要なのか、今直面している問題を克服する為に(勉強にしぼらずに)どうすればいいかも話合った。この頃はN君も口で不満を表現できるし、私も態度でだいたいのことはわかるようになっていたから、できるだけ本人のいうことに沿ったやり方で進めるようにした。受験前は本人から1時間延長しようとか、宿題をいっぱい出してとかいうようになった。

私が一番びっくりしたのは、あれだけ嫌がっていた英語に取り組もうという気になったことであった。その上、高校に無事合格できてからは、「うちの高校初の大学進学者になってやる」と意欲を燃やしている。

美談として、まとめるには程遠いほど、反省すべき点もおおいにある。テストなどの点数からみると、全く上がっていない。目に見える結果は何もないのだ。N君の場合、保護者の方の理解がなければ、私は続けていけなかったかもしれない。ただ、私が一番言いたいのは結果を焦って講師側が指導すると、これだけはわからせたいと思いつめすぎて、強要になってしまい、子供がついてこれない→その子はやる気がないと裏目に出てしまうことがあるのだ。

わからせた、できるようにさせたと思う前に、あくまで主人公は子供自身なのだということを知る必要がある。頭ではわかっているつもりでも、「~させる」(例えば講師として月目標に、今月は~をわからせると書くような使い方)と思っているうちは、まだおごりがある。どんな子供にも主体性はあるのだ。わかる、できる力は持っているのだ。その力を伸ばすために、講師はどんな場面においても、補助的な役割でなければいけないのではないだろうか。そして、そのためには子供からのサインを見逃してはならない。たとえやる気がないと見える子供であっても決して見捨てない。

対数十人を相手する今の教育現場の教師ならともかくとして、マンツーマンで指導できる家庭教師さえも子供の可能性を信じることができないというのなら、講師を続けることは難しいだろう。しかし、自問自答しながら指導している講師なら自信をもってほしい。えてして、「やる気がない子で困っている」と悩んでいる講師こそが、子供のことを真剣に考えているいい講師が多いのだから。

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